ワタリウム美術館で開催中の「
流しの写真家 渡辺克巳 写真展」
興味と不安が入り混じった気持ちで、会場へ向かいました。
2006年1月29日"流しの写真屋"と呼ばれた渡辺克巳が肺炎のため65歳で死去しました。
ワタリウム美術館に、残された数千枚にも及ぶ写真が展示されているのです。
1941年、盛岡市生まれの渡辺氏は1961年に写真で身を立てようと東京に上京しました。
東條会館写真部に5年間籍をおきましたが、程なく、あやうい世界に引きつけられていきました。
日本中が高度成長期にさしかかろうとしていた頃のこと。
新宿の流しの写真屋・・・この一本で生きることを決意したのです。
会場には想像以上の膨大な写真の量。所々に赤い紙を切り抜いた文字で、渡辺氏の心境や解説が綴られていました。それが一際、派手に、強く、悲しく見えてくるのです。
ああ、これでやっと自由の身になれたー。
それが偽りのないひとつの実感だった。僕は、わずかばかりの退職金で、新しい引伸ばし機を買った。
“新宿の流しの写真屋”一本で生きることにしたのである。
「新宿群盗伝伝」より
これが、一番最初に私の目に飛び込んできた言葉でした。
急激な発展とその影が表裏一体だった時代の新宿に集まった人たちの写真の数々。
2階の展示スペースに「ご自由にお入りください」とありました。
床には多数の写真が敷き詰められており、その上にはガラスの板が張られていました。
私はその板の上に足を乗せることは、絶対に出来ませんでした。
入れ墨や吠えているヤクザの人たち、優しい表情の男やゲイ、娼婦達・・・
嬉しそうにポーズを取った姿が目立ちますが、その表情は時々切なさが見え隠れして見えたのは私だけでしょうか?
夜のギラギラした世界、新宿。エネルギーや緊張感や喜びや悲しみが溢れている街。
それは今も変わらないかもしれません。
けれど上手く伝えられないけれど、今の時代のように妙に冷めた感じではなく、見えないものを掴もうと我武者羅に熱く夢中になっていた気がするのです。
それがよく伝わってきました。
また、2008年3月21日の日経新聞。
赤線跡を研究するフリーライター・木村聡氏のコラムも印象的でした。
私の足を美術館に運ばせたきっかけの一つでもあります。
今年は「赤線」が消えてちょうど半世紀にあたるそうです。
木村氏は、歴史の中に静かに眠る町並みと古い建物の記憶を書籍にされています。
今回の写真展が開催されるにあたって、心から共感する部分があったと思います。
本日、4月20日(日)で終了となります。
是非、足を運んでいただきたい写真展です。